当園長は,2010年3月に高校教師を定年退職し,農業従事者として第二の人生をスタートしております。 当面は,レンゲ利用農業,言い換えれば「レンゲを核にした農業」の取り組みを目指しています。 具体的には,@レンゲ播種による圃場の緑肥化,A「ちびっこれんげらんど」を開放し,子どもの遊び場づくりによる地域社会貢献活動,Bレンゲ利用の水稲コシヒカリ栽培,Cレンゲ利用の養蜂等の取組みです。 「農蜂業」を目指した当農園の取り組みに,皆様のご支援ご協力を賜れば幸いです。 |
当農園は,四国徳島,JR徳島駅から北西約3qに位置する市街化区域内の農家(農地が約60a,居宅敷地を除く賃貸用宅地が約50a)であります。寺の過去帳によれば,当農園につながる先祖初代戸主「市兵衛」は享保19年(西暦1737年)に没しています。したがって,当家は1700年当初に始まったと推測され,300年余り続いていることになります。なお,現園長は当家10代目にあたります。 明治・大正時代には阿波藍栽培を,戦後,昭和20年代後半にはカボチャを,昭和30年頃にはキュウリ,ナス,トマトなどの野菜栽培を,30年代後半からは,ビニールハウス(当初骨組みは割竹,最盛期11棟保有)を県内に先駆けて導入し,軟弱蔬菜(ミツバ,パセリ等)雨除け露地栽培を手がけました。特に,県内に先駆けて導入したカイワレダイコン雨除け露地栽培は,県内外から多くの視察が相次ぎました。カイワレダイコンは,播種後10日目での出荷,しかも年間10回栽培できるという驚異的な回転率は,高齢化に悩む近郊型当農園にとって救世作物となりました。当然ながら近隣農家にも生産拡大しました。当時,静岡県にあった水耕栽培企業「海洋牧場のカイワレダイコン」のTVコマーシャルが放映されると,当農園や近隣生産農家の「露地ものカイワレダイコン」の売れ行きが急増しました。ところが,菅直人厚生大臣(当時)による「O157の原因はカイワレダイコン」報道会見,マスコミによる加熱報道,販売店の売り控えや消費者の買い控えにより,カイワレダイコン生産農家は壊滅的な被害を受けました。その後カイワレダイコンの生産も消費も回復はしないまま今日に至っています。 このように,化学染料発明による阿波藍生産の急速な衰退,うどんこ病蔓延による特産カボチャの生産不能,根拠が疑わしい報道会見や報道に伴う風評被害によるカイワレダイコン生産の行き詰まり等,先代農園長の高齢化と相まって,これまで当農園経営はまさしく時代に翻弄されてまいりました。 平成11年に先代9代目の没後,現農園長が高校勤務の傍ら休日を利用して,細々と水稲コシヒカリ50a栽培と趣味の家庭菜園を続けてまいりました。現在は,所得の大半を土地・戸建・駐車場賃貸による不動産経営に依存しつつ,レンゲを核としたエコ農畜産物の複合経営を模索しているところであります。 |